「おはよう」

 

週の初めの日の朝早く、婦人たちはイエスの遺体が納められた墓に見に行きました。しかし、墓をふさいでいた大きな石は転がされ、そこに主の天使が座っており、彼女たちに告げました。「あなた方が探している方はここにはおられない、復活されたのだ」  

これを聞いて驚き恐れながらも喜んで婦人たちは走って弟子たちに知らせようとしました。その途中、「イエスが行く手に立っていて『おはよう』と言われた」(マタイ289) 

復活という非日常の出来事の中で、「おはよう」という日常的な言葉をイエスが語られたことに驚きます。復活は奇跡でも、作り話でも、まやかしでもないのです。それは非日常的で驚くべきことでありながら、しかし弟子たちの日常のなかで起こったことなのです。「さあ、来て、朝の食事をしなさい」(ヨハネ福音書2112

朝の食事、新しい一日の始まりです。復活のイエスは日々の生活の中にこそご自身を現わされるのです。

 

「おはよう!きょうは日曜!みんなでさんびを ささげよう。この日、主イエスはよみがえられた。よろこびの日」(こどもさんびか 1)  

 新しい朝がきました.。よろこびの一日がはじまります。復活のイエスの「おはよう!」のあいさつと共に

 

大都会の小さな教会

 目白通りを一本入った閑静な住宅地に、芝生の生い茂った暖かい教会があります。

 信仰に導かれて長い間この教会を支えて来られた年配の方々、またその方たちを心のよりどころとする若い仲間たち。ここには明るい笑顔に包まれた「神の家族」があります。

「家庭的なぬくもりを感じますね」と、新しく来られた方々からよく言われます。

 これからもこの地域に根ざした、愛と希望に満ちた教会形成に励んで参ります。

 

「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」<マタイ18:20>

 

どうぞどなたでもご自由に教会をお訪ねください。