30. 余滴 「信じる」

日本人にとって信仰は「信心」という言葉があらわしていますが、「信じる心」が大切なです。「イワシのアタマも信心から」と言われるように、イワシのアタマでも神として信じているなら、それも信仰になるのです。

新約聖書で「信仰」と訳されている言葉は、本来は「真実」とか「誠実」という意味です。信仰を「信従」と訳する人もいますが、キリストに対する誠実とは、単に心の中で信じているだけではなく、イエスに「従う」までを含んでいるのです。

「自分の十字架を背負ってわたしに従って来なさい」(マルコ834) このイエスの言葉が信仰とは何かをよくあらわしています。イエスに従うとは、私たちもイエスが歩まれたように自分の十字架を背負って歩むことです。それがキリストへの誠実、すなわち信仰となるのです。

ベント(待降節)、それは世の光として到来した神の子イエスを待ち望む時です。クリスマスは光がシンボルとなっていますが、ローソクの光りが自らの身を焼き尽くしつつ光を放っている姿を示してもいるのです。十字架を背負ってイエスに従う信従の姿を象徴しているでしょう。

「あなたがたは世の光である」 世の光としてどのように生きるのか、アドベントに問われていることです。あのローソクの一本にでもなれるかどうかが問われるのです。

    マタイによる福音書9章2

 

 

大都会の小さな教会

 目白通りを一本入った閑静な住宅地に、芝生の生い茂った暖かい教会があります。

 信仰に導かれて長い間この教会を支えて来られた年配の方々、またその方たちを心のよりどころとする若い仲間たち。ここには明るい笑顔に包まれた「神の家族」があります。

「家庭的なぬくもりを感じますね」と、新しく来られた方々からよく言われます。

 これからもこの地域に根ざした、愛と希望に満ちた教会形成に励んで参ります。

 

「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」<マタイ18:20>

 

どうぞどなたでもご自由に教会をお訪ねください。