29. 余滴 「残す」

 

収穫感謝祭(ThanksgivingDay)はアメリカで始まった祭りですが、もともとはイギリスから新大陸に渡った「清教徒」たちが荒れ地を耕し、最初の収穫を神に感謝するとともに、開墾の方法を教えてくれた現地の人々に感謝し、七面鳥を焼いて分け合って食べたことが起源とされています。感謝(Thanks)と分かち合い(Giving)の祭りだったのです。

その起源をさらにさかのぼれば旧約聖書のレビ記や申命記にあります。「穀物を収穫する時は、畑の隅々まで刈りつくしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかなければならない」(レビ記199)ミレーの有名な絵「落ち穂拾い」の原型となるものです。

この聖書の言葉で特に注目しなければならないのは、「残しておく」という考え方です。収穫は取りつくしてはならず、四隅にある実りは残しておかなければならないのです。それは貧しい人や寄留者のものとして残しておくべきものなのです。

「うばい合えば足らぬ 分け合えばあまる うばい合えば憎しみ 分け合えば安らぎ」(相田みつを)

残すのは他人のためではなく、自分のためでもあるのです。「共に生きる」ために神から与えられた恵みの知恵です。

         マタイによる福音書828

大都会の小さな教会

 目白通りを一本入った閑静な住宅地に、芝生の生い茂った暖かい教会があります。

 信仰に導かれて長い間この教会を支えて来られた年配の方々、またその方たちを心のよりどころとする若い仲間たち。ここには明るい笑顔に包まれた「神の家族」があります。

「家庭的なぬくもりを感じますね」と、新しく来られた方々からよく言われます。

 これからもこの地域に根ざした、愛と希望に満ちた教会形成に励んで参ります。

 

「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」<マタイ18:20>

 

どうぞどなたでもご自由に教会をお訪ねください。