16. 余滴 『負ける』

 

オリンピックがメダルラッシュで過熱したためか、同じ時期に甲子園で行われていた高校野球はあまり注目されなかったようです。熱戦の続く高校野球の最中に元西鉄で活躍した豊田泰光氏が亡くなったと新聞に出でいました。スポーツのあり方に対して厳しい見方を持ち、特に高校野球についてはそのプロ化を強く批判した人でした。

甲子園でも、地方大会でも優勝すると選手たちがマウンドに集まって右手の人差し指を高々と上げる習慣がいつのまにか行われています。「No.1」というサインなのでしょう。しかし見ていてあまり感じのよいものではありません。そこには戦って負けた選手への思いやりが感じられないからです。

 オリンピックで銀メダルに終わった選手が「銀などいらない!」とはいて捨てるように言った言葉が残っています。スポーツは勝負の世界ですから勝ち負けは付きものです。しかし人生では勝つことばかりではありませんし、勝つ人ばかりでもありません。むしろ負けることから学ぶことの方が多いのです。「敗者復活戦」というのがあります。敗者にも可能性が残されているのです。キリスト教信仰は本来、敗者復活なのです。

 

(マタイによる福音書59節)

 

 

大都会の小さな教会

 目白通りを一本入った閑静な住宅地に、芝生の生い茂った暖かい教会があります。

 信仰に導かれて長い間この教会を支えて来られた年配の方々、またその方たちを心のよりどころとする若い仲間たち。ここには明るい笑顔に包まれた「神の家族」があります。

「家庭的なぬくもりを感じますね」と、新しく来られた方々からよく言われます。

 これからもこの地域に根ざした、愛と希望に満ちた教会形成に励んで参ります。

 

「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」<マタイ18:20>

 

どうぞどなたでもご自由に教会をお訪ねください。